「拓郎」の事を書いてみたくなった。 というのは、7月21日が「拓郎」最後のTV放送になったからだ。
◆「拓郎」は我々の時代のカリスマだった。 まさに「拓郎」=「青春」といっていい。
といってもTVでは殆ど見たことがなかった。 当時は拓郎に限らずフォークシンガー達はTVがあまり取り上げなかった。 「ジーパン、長髪、口のきき方も知らない愛想のないガキ」が「何かわけのわからない唄をぼそぼそと歌っている」 といったイメージだったのだろう。
NHKの紅白歌合戦でもGSやフォークソングの人たちは殆ど見なかった。 唯一でたの「ブルーシャトー」を歌ったブルーコメッツくらいだった。 選ばれた理由の一つに、「髪が短く」「スーツを着用している」からだとも言われていた。
◆私自身「拓郎」のイメージは彼がやった野外コンサートのイメージであり、TV局のスタジオで歌うものではない・・・と思っていた。 拓郎・コウタロー・かぐや姫 コンサートインつま恋(1975) – YouTube
それが2006年の「つま恋コンサート」をよりによって「NHK」で8時間半にわたり歌ったのは衝撃だった。それは当時、拓郎=若者の唄=反体制=反NHKというイメージがあったからだ。 今日までそして明日から吉田拓郎・35000人の同窓会・つま恋live 吉田拓郎&かぐや姫 Concert in つま恋2006 伊勢正三、山田パンダ – YouTube NHKとしては中々普及しない衛星放送とハイビジョン放送をなんとか視聴者に支持してもらおうというおもいで、団塊の世代のカリスマである「拓郎」を取り込んだのだろう。 この試みは大成功で驚くほどの視聴率をとり衛星放送の加入者を増やしたと言われている。
◆私の好きな曲の「イメージの詩」「旅の宿」「夏休み」「人間なんて」「結婚しようよ」「落陽」「ペニーレーンでバーボンを」などは殆ど1970年代に作られた。
拓郎の歌は、高校の文化祭の後、キャンプファイアーを囲み、肩を組んで「若者たち」や「友よ」といった反体制的なフォークソングとは違い、誤魔化すことのない自分の心を歌っていた。
◆今から半世紀前、学生は当時の<体制>という大人達が作り上げた社会に背を向けた。 ある者はその<体制>と闘い、ある者は現実から逃避し、一部の人間は自己嫌悪に陥りながら社会に組み込まれていった。 ユーミンが歌った「『いちご白書』をもういちど」の歌詞の「就職が決まって 髪を切ってきたとき もう若くないさと 君に言いわけしたね」というのが多くの学生の現実だった。「いちご白書」をもう一度/松任谷由実
そんな時代、僕たちはどこかに行った時、必ず拓郎の歌を一緒に歌った。 友達と行った海辺の旅館で、日本酒を片手に将棋をさしながら「旅の宿」を口ずさんだ。 大学のゼミ合宿で行った長野県のセミナーハウスで打ち上げでは、拓郎の歌をメドレーで歌い、最後は「人間なんて」の大合唱になった。 友人の下宿先でギター片手に「青春の詩」や「ペニーレーンでバーボンを」を歌った。
その後も様々なポップスやフォークやロックが人気となったが、今でも心の中に残り、口ずさむのは圧倒的に拓郎の歌だ。
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