私の合気道歴30年以上になる。 といってもサラリーマンやりながら趣味ではまっただけなのでプロではない。 習い始めたのは今から30数年前。 その頃の本部道場は開祖の直弟子が指導していた。 植芝吉祥丸道主、大沢(喜三郎)師範、有川師範、多田師範、山口師範、増田師範、市橋師範、佐々木師範といった先生方だった。
直弟子といいながらも技は師範により違っていた。 ただ、どの師範も力づくではなかった。 “技”をかけられても、<痛い>という事はなく、<いつの間にか崩されていた>という感じであった。
楽しいので会社が定時で終わると道場に通うようになった。 もっとも殆どの時間は仲間との稽古で投げたり投げられたりだが、それでも終わった後はすっきりした。 それはただ汗をかいたというだけではなく、体の中の不純物が消えてしまったかのように気持ちがよかった。 だから稽古の後は、いつも帰りに新宿で稽古仲間といっぱいやるのが至福のひと時になった。
やがて直弟子の先生達も定年(?)で辞めたり、亡くなったりして本部道場にいなくなった。 そして指導者は次の世代の師範に代わった。
しかし、かなり“技”も変わった。 “技”といって良いのかは分からないが、受けをとる身としてはかなり強引に技をかけられたような気がした。 兎に角“技”はとても<痛>く、そして<画一的>になった。それでも彼らの言うような<受け>を求められた。 <いつの間にか倒されていた>というような事はなくなり、よけようと思えば避けられ、反撃しようと思えば出来た。 簡単にいうとチャンバラの<殺陣>のようだった。
そんな合気道に違和感を覚え道場への足は遠のいた。
暫くして何故直弟子の技は受け継がれなかったのか考えた。 推測だが、その後の師範達の多くは学生時代から合気道をやっていてそのまま指導者になったような気がする。
確かに直弟子といわれる先生方も大学に指導に行っていた。 しかし当時武道系の部活は人気があり、多い時で一つの大学で100人を超えることもあった。 (テニス部や合唱部ではない) そんな大人数に対して指導者が指導できる限界を超えていたのではないか。 先生から手をとってもらっても、それを受け入れる感覚が育たなかったのではないだろうか。
だから先輩のいう通りに<受け身をとり>、相手を<投げる>しかなかったのではないか。 それは小さい頃から慣れ親しんだ、“通常の運動で使われる筋肉運動”で反応するという事だろう。
私自身初めて合気道を体験したとき、<訳が分からなかった>というのが素直な感想なのだ。 「打ってこい」と言われ、殴りかかって行ったら先生は目の前におらず、腕を捕るといつの間にか倒されていた。そのときは本当に「すごい」と驚いた。 そして何とかそんな事が出来るようになりたいと思い道場に通うようになった。
そんな開祖の直弟子と言われる人たちも、そのほとんどは最初から合気道をやっていた訳ではない。空手や柔道、剣術、忍術など様々な武術をやっている内に開祖に出会い入門したのだ。(その頃の合気道の状況は多田師範の著作「合気道に生きる」に書かれている)
その先生方の話では、「開祖が道場に入ってくると道場の空気が一変し、春風が漂ってくるようだ」とか「何故倒されたのかわからないし、倒れたまま動けなかった」という話を聞いた。 少なくとも、そこには肉体と肉体という物質的な衝突はなく、おそらく開祖の説く万有愛護の精神が体を通して現れているのだろう。
私もいつかそんな事が出来ればいいなと思いながら、コロナが終息し合気道を再開できる日を待っている。
合気道を理解するのは精神(心)や感覚の問題があるのでとても難しい。 今後もわかる範囲で紐解いていきたいと思う。
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