3月1日から大手企業の大学生の就活が始まった。
約半世紀前は、大学四年生の四月一日が企業訪問解禁日だった。 といってもそれは建前で、その前からいくつかの企業は先輩との交流という名目で「これは」という学生にはゼミや部活を通じて接触していた。
1.大学三年生の2月の期末試験が終わった後、ゼミの友人に「明日先輩から呼ばれているから来ないか」と誘われた。 翌日、普段着でいいというので、ジーパンにジャンパーで待ち合わせ場所に行くと、友人2名はスーツ姿でその社会人と一緒に待っていた。 どこかの喫茶店で就職について何か教えてくれるのかと思ったが、会社訪問だった。 一瞬顔が強張り帰ろうかと思ったが、その先輩が「そのままでいいよ」というので、遠慮しながらついていった。
まだ学園紛争の余波があり、大人の社会に対するアレルギーが強く、就職=サラリーマンになるということに抵抗がありあまり気持ちが乗っていなかった。
・・・ 当時の学生は、吉田拓郎、井上陽水、中島みゆきをレコードで聴き、映画館では「エマニエル婦人」やスピルバーグの「ジョーズ」に興奮し、柴田翔や高橋和巳、本多勝一の本を読み、そして少年チャンピオンの「がきデカ」を愛読した。麻雀のメンツが集まるまで待っていた喫茶店には必ず「朝日ジャーナル」が置いてあった。・・・
その社会人に連れられ、車で川崎にある最新設備の大きな工場見学に行った。 ひととおり工場見学が終わるとタクシーで都心に戻り、大きなホテルにある高級(?)中国料理店に入った。 そしてコース料理を注文。 「うまいだろう」という言葉を連発し、「○○年ものだ」といって紹興酒(?)を小さなコップに注いでくれた。
しかし、料理はおいしいとは思えなかったし、紹興酒もまずかった。 当時の学生は飲食に殆ど興味がなく、「酔えばいい」、「腹を満たせばいい」くらいの感覚だったので味オンチだったのだろう。 学食の余りもので十分だった。
その先輩は立派な建物や工場で驚かせて、学生が食べたことのないような料理を与え、時にはお小遣いをわたしたりして学生を手なずけていたようだ。 そんなことをやっていたというのは、それなりの効果があったからだ。
田舎を出て学費を稼ぐためのアルバイトに時間をとられている学生からすれば「感激」ものだったろう。 しかし、社会は急激に変化しており、しかも高校大学と学園紛争があり、大人達が作った社会が差別や公害を垂れ流している現実を目の当たりにしていた僕は就職活動を覚めた目で眺めていた。
結局誰もその会社には行かなかった。
2.4月1日になって就職活動が解禁されたが、企業訪問をする意欲がわかなかった。 しかし大手の商社、金融、保険会社といった人気企業を希望する者は、今と同じで初日から企業の門前にならんでいた。
昨日まで<反体制>を叫んでいた人間が急に<有名企業>の門前に並ぶ姿は浅ましく見えたが、 多くの友人達が会社から内定(?)らしきことを言われるようになるとやはり焦った。
気持ちとしては前向きになれなかったが、保険のつもりで5月に入ってから2,3社訪問しその場で内定をもらった。 その後も気持ちの整理はつかず、なんとなくそのままそのうちの1社に就職した。
しかし当時は企業に就職せずに卒業したものも少なくなく、世界を放浪したり、インドに1年くらいいたりとヒッピーと呼ばれるそれまでの社会の価値観から外れた方向を選択した者も少なくなかった。
3.入社して配属された部門の上司には大学の体育会出身者が何人かいた。 偶々同じ大学出身だったこともあり、仕事が終わってから飲みに誘われることもあった。 今では考えられないだろうが、華やかな女性のいるかなり高級なバーや料理店に連れていかれた。 顔なじみなのだろうが「・・・ちゃんの後輩なのね」などと言いながら話しかけてくるホステスや女将に鳥肌がたった。 体育会の後輩ならばいいのだろうけれど、学生時代からあんな連中に追いかけられていた身としては気分が悪かった。
4.友人達の中には、いったん企業に就職したが、やめて他の大学(特に医学部)に再入学したり、予備校や学校の先生になったり、公務員に転職したものも少なからずいた。 それは会社や仕事が嫌なのではなく、民間企業にはいって接触する大人達の体質が当時の学生が批判したものと同じだったからだ。
退社した友人は今なら教育ママが泣いて喜ぶような有名大学を優秀な成績で卒業した真面目で模範的な学生ばかりだった。 おそらく小さい頃から学級委員をやらされていたタイプだろう。
5.小学校から教室の黒板の上に掲げられていた「公正、真実、努力」「一生懸命」「継続は力」「友情、清潔、元気」といった標語を目標に精進してきた優等生はきっと<だまされた>と思ったに違いない。
残念ながら、運よくそのまま定年まで勤め続けた人間もいるが、まともな人間で出世したと聞いたことはない。
今日本の社会が嘗てのような<輝き>があるとは見えない。 おそらく社会を引っ張っていく本当の意味のエリート層にまともな人間がいなくなってしまっているのではないだろうか。 私のいた会社も知っている範囲で上層部は質が良い人間とはいえず、既に人気企業ではなくなってしまった。 社会の規範やモラルを大切にして生きる人間よりも、自分さえ上手く行けばいいという<自己中>人間がうまく立ち回って成功してきたように思える。
これから就職する若者たちがどんな社会生活をおくるのであろうか。 心配でならない。
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