キャンパスを歩く女子大生は、明るく輝き、満面の笑みを浮かべていた。 それはあまりにもまぶしかった。
◆<大袈裟だ>、と思われるかもしれない。 確かに高校二年までは、普通の高校生のようにそれなりに、遠足、文化祭、修学旅行、部活、クラス対抗バレーボール大会、と明るく楽しい毎日だった。 しかし、三年生になった頃から学校の空気が急速に変わった。 それは全国的に広がっていた大学紛争が高校にまで影響を及ぼすようになってきたからだ。
公害、ベトナム反戦運動、差別、といった社会の様々な矛盾が思春期の僕たちの心に突き刺さった。
当時流行っていた本は、柴田翔の「されどわれらが日々」、高橋和巳の「わが心は石にあらず」、高野悦子「二十歳の原点」など、社会になじめず、どこか冷めて、他方で何か思い詰めたような心の在り方を描くものが多かった。
歌謡曲も暗いものが多く、藤圭子の「夢は夜開く」では、「十五、十六、十七と私の人生暗かった・・・」とドスを聞かせて歌っていた。(圭子の夢は夜ひらく(フルコーラス):藤圭子 – YouTube ) およそ、人生の春を謳歌する青春時代の歌とは思えない歌詞だ。
高校三年になってからは楽しい事は何もなく、笑う事すらなくなっていた。 文化祭は全学集会となり、授業はボイコットされ、デモが頻発し、学校は封鎖され、そして卒業式もなくなった。
◆そんな灰スクール(Hight School)と揶揄された暗い世界から突然、 180度逆転するほど、見たことのない明るい世界が目の前に現れた。
「たかが女の笑顔くらいで」
というツッコミもあるだろうが、そのとき見た彼女達の「なんの憂いもなく」、「心の底から青春を謳歌している笑顔」が「鬱屈し、閉ざされていた」僕の心の闇をいっきに吹き飛ばしてくれた。 単純で発情期の二十歳前の青年に与える影響は大きいのだ。
そして、そんな可愛い女子大生はみんなテニスラケットを持ち、男友達と一緒に楽しくおしゃべりしながら歩いていた。
―衝撃だったー
高校時代にそんなことは全くなかった 。 というより、そもそも女生徒話す機会がなかった。
<女の子と仲良くなりたい>
青春のうずきだ。
そして<テニス>というのが、まさにそのための必須アイテムのように思えた。
当時人気絶頂だった天地真理がテニスルックで「あなた~を待つのテニスコ~ト・・・」と「恋する夏の日」を歌っっていた。恋する夏の日」 天地真理(当時21歳) – YouTube
◆ガールフレンドを作るならテニスサークル(今流なら「テニサー」)に入らなければ・・・と思った。
早速友人とテニスサークルを探した。 今のようにインターネットで簡単にサークルを検索することは出来ないので、学校の事務室でサークル案内を見せてもらった。
それには大学公認のテニスサークルだけで10以上あった。 その中から、女性のメンバーが多くいるところに入会を申し込んだ。
しかし、いつも「男は満員だから」と断られた。 3件目のサークルでも同じように断られると、さすがに嫌気がさしてきた。
テニスサークルに入っている同級生に聞くと、 (当時は大変なテニスブームだった) テニスコートを借りるのは大変なので、会員が多いと肝心のテニスが出来なくなるから新入生の募集も絞っている。 ・・・と、教えてくれたが、女性の入会は認められていた。
当時の大学進学率は25%くらいで、女子高生の多くは女子大学に進み、男女共学の大学に 進学する女性は少なかった。私が入った経済学部のクラスには女性は二人しかいなかった。
だから、どのサークルも女子会員の取り合いだった。
結局、テニスサークルに入ることはあきらめた。
◆それで、他に女性に人気のあるサークルを探した。
<ダンス部> ・女性とパートナーを組んで楽しそうに踊っているのが羨ましかった。 実際に稽古をしている人たちは、スタイルがよく、とても高そうな衣装(おそらく「がに股」の僕には似合いそうもない)を着て、きりッとした顔でくるくると回っている。 それが、楽しいのか苦しいのかわからないが、何よりも女性とあれほどまで体をくっつけると、自分の下半身が反応してしまい恥をかきそうなので、とても出来ないと思った。
<軽音楽部> ・高校生の時、少しだけ下手なりにギターをやってみたことがある。 結局「禁じられた遊び」の最初の数小節だけしか引けず、あとはフォークソングをコードで弾いていたくらいだ。 よく見ると、女性が多く、男性は殆ど高校時代から楽器をやっているような上手な人ばかりのようだ。 全くの素人では御荷物になり、恥をかくだけだ、と思った。 ましてクラシックの音楽サークルなんて殆どプロ予備軍みたいな連中だった。
<ESS> ・ESSに入っている同級生に聞くと女性が多いという。 実際サークル活動を見学に行ったが、「英語が得意」とか「外国で暮らしていたので忘れないために」といった者が多く、受験英語で苦しんでいた自分では到底無理だと思った。
周りをみると、自分と同じような高校時代に特段<何かをやっていた>とか、<何かの趣味に熱中していた>、という経験のない男性は、大体男たちしかいな野球サークルとかサッカーサークルに入っていた。
それでは高校時代の延長でしかないと思い、入る気がしなかった。
◆結局、女性に人気があり、全くの素人でも、なんとか恥をかかないで済みそうなスキーサークルに入った。
経験者もいたが同じくらい殆ど素人に近い者も多く、運動神経だけは人並みにあるので何とかなると思った。
スキー部の新入生歓迎会が開かれた。 新入生は全部で14人。
しかし女性は一人もいなかった。
「これで全部ですか」
一緒に入部した友人が不思議そうな顔をして先輩に尋ねた。
「そうだよ」
友人が少しがっかりしたような素振りをしたので、その先輩が付け加えた。
「オンナはいないよ」
その言葉に友人は顔をあげた。
他の先輩が口を開いた。
「うちの部は男だけのサークルなんだ」
その先輩は少し口元をゆがめ、ニヒルな笑みを浮かべながら説明した。
「もともと俺たちは他のスキー部にいたんだ。そこにものすごく可愛い女の子が入って きて、その女の子の取り合いになってしまってね」
私はその言葉に驚いた。
「取り合いですか」
「まあ・・・そんなところだ」
その4年生は何かを思い出そうとしているのか、目を細め遠くを見た。
「その結果サークルの人間関係がグシャグシャになってしまったんで、嫌になってそのサークルを辞めたんだ」
他の4年生が頷いた。
「それで・・・女性を入れないサークルを作ったんだ」
「ガールフレンドはその気になれば、ダンパで見つけられるから心配すんな」
3年生が笑って言った。
「ダンパ」とは何かわからないが、とにかくガールフレンドが出来るのなら、と期待することにした。
◆早速翌日からサーキットトレーニングに入った。
集まったのは殆ど1年生と2年生ばかり。3年生はゼミが始まり、4年生は就職活動で 少ししかいなかった。
一緒に説明会に行った友人は来なかった。 翌日友人に連絡したら「辞めた」と一言。
「女性がいない」と言われたときの顔を思い出した。
それからは週2回のトレーニングに出席するようになった。
スキー部なので冬までの活動は受験でなまった体を鍛え直すことに費やされる。 まずは、学校の周囲をジョギング。 走っているとテニスコートでは、男女の学生が楽しそうにラリーをしていた。 僕はそれを眺めながら「ファイト、ファイト」と大声を出し、やけになって走った。
スキー部なので下半身の強化が目的のサーキットトレーニングが多い。 毎回、学校の壁に背をつけて、腰を落とし、丁度椅子に座る姿勢のまま両手を伸ばし100回掌を握るのだ。それを毎回5セットこなす。 精一杯体を使って汗をかいたが、・・・なぜか空しかった。
大体一度に2時間程度の練習だが終わった後はぐったりした。 その後は上級生に誘われて雀荘に行き、少ない小遣いを巻き上げられた。
◆ゴールデンウィークが終わった頃、三年生から声がかかった。
「来月ダンパがあるからそのつもりで」
「なんだダンパって」
サークルで親しくなったAに尋ねた。
「ダンスパーティーの事だ」
「ダンスパーティーって」
僕は一瞬、高校の学園祭の後にやる後夜祭で真っ暗な中焚火を囲んで、女の子と手をつないでやったフォークダンスを思い出し、一瞬顔がひきつった。
「場所は都心にある大東京ホテル」
「あの芸能人が結婚式をやるホテルか」
「そうらしい」
突如僕の頭の中に、高校の後夜祭で女の子の手をとって踊った「マイム、マイム」や「オクラホマミキサー」の音楽が流れてきた。 そして、「ハイ、回って、次の人の手をとって」という音楽の先生の金切り声が、頭の中に響いた。Mayim mayim – YouTube フォークダンス☆2014 – YouTube マイムマイムの正しい踊り方 Mayim Mayim teach and dance – YouTube
まさかシャンデリアのぶら下がるホテルの大宴会場の中で、女の子の手をとって、くるっと回ってお辞儀をして、次の女の子の手をとって足踏みをして・・・なんてことをするのかと思うと、鳥肌が立った。
・・・本当なのか・・・
ふと、そんな疑問が湧いてきた。
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