雪が降る

昭和の男

久しぶりの雪。雪を見ると思い出すのが、スキー場のレストラン兼バーのようなところでいつもアダモの「雪が降る」(アダモ 雪が降る(日本語)1969 / Tombra Meige – YouTube)がかかっていたことだ。少しかすれているが、哀愁を漂わせる独特の低音。何故かわからないが心の奥底を鷲掴みにするようなメロディ。

それからはアダモの歌を聞くようになった。「ブルージーンと革ジャンパー」(アダモ/ブルー・ジーンと皮ジャンパー (1964年) – YouTube)  「夜のメロディ」(夜のメロディ / アダモ – YouTube)  「ろくでなし」(ろくでなし Mauvais Garcon – YouTube)  「サントワマミー」(アダモ/サン・トワ・マミー (1962年) – YouTube)  今も心に残る名曲だが、これだけのものを作り上げたのは本当に才能があったのだろう。

一度だけコンサートに行った事がある。多分日本で最後のコンサートだったので何とかチケットをとった。サービス精神が旺盛で最後まで愛想がよくアンコールに答え、しかも日本語で歌ってくれた。アンコールを歌い終わった後、大勢の女性が花束をもってアダモに渡していたのをよく覚えている。それまでレコードやテープでしか聞いたことのないアダモの声を生で聞けた満足感に溢れた。

ホールを出ながらも「アンブルージーン エ ブルゾン・・・」といった言葉を口ずさんでいた。アダモの曲を日本の歌手がよく歌っていたがそれなりに聞けたのは越路吹雪くらいだと思う。Wikiでみると幸いまだ生きているようだ。

学生時代は毎年長野県にある志賀高原スキー場に行っていた。当時のスキー板は身長プラス10㎝といわれる長い板が主流だったのでスキー客で混んだ列車は大変だった。昔の列車は背板が座席と直角になり、固く座って寝ると疲れるので、ソファアを外し、床に敷いてその上に寝た。といっても寝るまでは車座になって宴会だったが。長いスキー板はフックをつけて荷物を置く網棚に吊り下げた。

夜行列車が早朝長野駅に着くと、長野電鉄で湯田中まで行き、バスに乗り換え1時間くらいで到着。民宿に着くとすぐにゲレンデに一直線。原田知世の「私をスキーに連れて行って」よりも少し前の時代だったが、スキー場はどこも満員だった。

初心者の頃は<一ノ瀬スキー場>や<ダイヤモンドスキー場>でボーゲンやシュテムクリスチャニアを練習し、少しうまくなりパラレルが出来るようになってからは<高天原スキー場>、そしてウェーデルンが出来るようになってからは<東館山スキー場>、<ジャイアントスキー場>をまわった。    滑り降りて来るのに数分だったが、リフト待ちは1時間以上かかった。

今ならそんな悠長なことはしていないだろうが、一昔前はそれが当たり前だった。        「降る雪や、昭和は遠くなりにけり」

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