「ハナ マロ 猫日記」に暖かな春の日に誘われ、外に出た猫の幸せそうな姿を見て、 吉田拓郎の「春だったね」を口ずさんでしまった。
その歌から既に半世紀。
◆昨年「拓郎最後のライブ」というので、何とかチケットを買おうとした。 残念ながら、コロナにより中止となってしまった。
拓郎の歌は学生時代からずっと耳に残っている。
2006年の「つま恋コンサート」(つま恋2006 – YouTube)に行けなかった。
その後も何度かチケットをとろうとしたが、仕事や親の介護やなにやらで、行けなかった。
定年になり仕事が終わり、親も亡くなった。 コンサートに行けるかと思っていたが、中止になってしまった。
◆半世紀前、ビートルズ、ポールモーリア、ミッシェルポルナレフ、グループサウンズ~フォークソンソング・・・と色んな音楽を聴いていた。
その中で今でもずっと心の中に残っているのは拓郎の歌だ。
ボブディランがノーベル賞をもらったのだから、拓郎は文化勲章くらいはもらってもいいと思う。 そうすると陽水や中島みゆきやユーミンにも何かあげないといけないかもしれない。 レコード大賞の特別賞というのもあるかもしれないが、 拓郎にはあまりにも矮小な感じがする。 何をもって賞の対象とするかの問題があるが。
◆拓郎は意外にもロックやR&Bやフォークをやっていた。 多分自分が本当に歌いたい歌を探していたのだろう。
それまでの日本の歌はいわゆる日本流のポップスや演歌、もしくは外国のロックやフォークのコピー的なもの、そして四畳半フォークと言われたものが多かった。 それはそれで楽しいのだが、何かが足りない。 それらはどこか反抗的だったり政治的メッセージがあったり、とにかくどこか無理して声をあげていた。
もしかしたら叫んでいたのかかもしれない。
◆拓郎は「私たち」の歌ではなく・・・「俺の」歌を作りたい、と言っていた。 確かに拓郎の歌は、「地に足の着いた」「自分の日常」を歌っていると感じる。 「イメージの詩」「青春の詩」「結婚しようよ」「旅の宿」「落陽」「春だったね」「人間なんて」・・・これだけたくさんの歌が<すっと>口をついて出てくるのだ。
何の番組だか忘れたが、拓郎は歌詞を作るのに物凄く言葉を選びを大切にしていたらしく、何度も書き換えたノートの様なものを見たことがある。
「歌手」なのだろうが「吟遊詩人」と言った方がいいかもしれない。
◆拓郎はTV出演を拒否した。 それは「一曲だけでは自分をわかってもらえない」というのが理由で「紅白歌合戦」にも出なかった。 彼の歌はコンサートや野外イベントでしか聞けなかった。 確かにそこは「拓郎の空間」になっていた。
しかし、驚いた事に2006年の拓郎の「つま恋コンサート」をNHK(衛星放送)が8時間半にわたり生放送した。
これは<NHK衛星放送の加入者獲得>と<ハイビジョン放送の普及>の為だろうが、 紅白に出場拒否していた拓郎をNHKが出すとは思わなかった。
そして、拓郎が両袖にある大型スクリーンの前まで走って行って歌った背後には<Panasonic>のロゴが大きく<視聴料で成り立っていて>、<CMを出せない>NHKの画面に映し出されていた。 きっと、どこかの広告代理店がしっかりと根回しをしたのだろう。 本当なら、<クレームの嵐>なのだろうが、「つま恋」に行けなかった身としては、<有難かった>。
◆若い頃通った原宿ペニーレーン((2) ペニーレインでバーボン & MC – YouTube)はもうなくなってしまった。
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