東大門前の刺傷事件の深層

昭和の男

年が明け、お屠蘇気分が抜けると、受験が話題になる。                     小学校のお受験にはじまり、中学受験、高校受験、そして大学受験。               小学校から高校までの受験は殆ど大学受験のためといって良い。                 逆に言うと、大学受験のためにそれまでの受験がある。それ故大学受験を前にした高校生にはプレッシャーがかかる。

先日、愛知県の毎年東大に多くの生徒が進学するので有名な東海高校の二年生(Aとする)が東大の門前で受験生にナイフで切りつけ受験生二人と老人一人を刺傷した・・・というニュースが駆け巡った。

様々なメディアが彼について書いているのは、「自分は日本で一番偏差値の高い東大医学部に入らなければならない」と思い込んでいたが、実際の成績は下降気味で到底無理な状況だったので、他人を巻き添えにして死のうとしていた・・・ということらしい。                          何故「東大医学部」と思い込んでいたかというと、周りが煽ったわけでもなく、学校でもそのような教 育方針でもなく、ただ本人が勝手に「日本で一番偏差値の高い所=東大医学部」に行くことが自分の使命だと思い込んでいただけの事のようだ。

東大医学部で思い出すのが、今から27年前の1995年地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教の幹部は殆どが高学歴者で、その中に東大医学部を出た者が二人いたことだ。            更にそのうちの一人(Tとする)は受験界では最もレベルが高いといわれている「大学への数学」で3期連続で満点をとっていた。                                   おそらく当時の受験生の中ではトップといってもいいくらいの学生だったはずだ。

ちなみに数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞を受賞した森重文京都大学名誉教授はこの「大学への数学」で「高3では満点は8,9割、高2まで合わせると5割くらい」といっているので、オウム真理教信者の富永昌弘の3期連続満点がどれだけすごい事なのかわかる。              ついでに言うと、森重文京都大学名誉教授は東大門前で刺傷事件を起こした生徒が在籍する東海高校のOBである。

オウム真理教に入信したTAのように到底なしえない現実の前に潰されたのではなく、少なくとも勉強という点ではおそらく一度も挫折することもなく生きてきた筈だ。                それが、何故オウム真理教の教祖の言うままに多くの犯罪に関与するようになったのか。

共通点は、どこかで頭の中に「東大医学部だけ」とか「オウム真理教の教義、教祖の言葉だけ」が「自分の生きていける場所」だという刷り込みがあり、それが自分の意思決定の最上位の判断基準になってしまったことだろう。

では何故そんな事が刷り込まれるかだが、高校生Aは高校入試のときいくつかの進学高校に落ち、せっかく受かった東海高校でも成績が下降していったが、「本来自分はこんなのではない」という思いが心の中にマグマのようにどんどん蓄積していき、まわりが見えなくなってしまったのではないか。   オウム真理教にはまったTはエリート街道をまっしぐらに走り、能力がありすぎたため周囲の人間と対等なコミュニケーションが取れていなかったのではないか。                    そんなとき、これまで自分の知らなかった世界で、更なる高みを見られると錯覚してオウム真理教にはまり、マインドコントロールされてしまったのではないだろうか。

両者とも自分の外部を評価基準として生きてきたのではないだろうか。              そして自分の心と離れたところに目標を設定し、様々な人たちと交流し、喜びや悲しみを共有し、自分の足で一歩一歩踏みしめながら生きることの大切さに気づかなかったのではないか。

全て当人の責任にするのは簡単だが、<学校という場>はそのような人間を矯正してくれる場所であって欲しい。

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