1.僕たちが高校二年生の1月に東大闘争があり、その年の東大入試はなくなった。
東大を目指していた多くの学生は京都大学や一橋大学、東工大に進んだが、<東大病>といわれる「東大以外は大学ではない」と思っている受験生は翌年の東大受験を目指し、他大学に在籍しながら仮面浪人したり、その年大学受験を見送った者もいた。 芥川賞を受賞した「赤ずきんちゃん気をつけて」(庄司薫著)の主人公のように大学進学をやめる人は殆どいなかったと思う。
2.その年僕は高校三年生になったが、多くの大学は封鎖され、街中ではデモ行進が行われ、学生街だった神田は<神田カルチェラタン>と呼ばれ、パリの五月革命さながら道路上の車はひっくり返され、火をつけられた。そして学生達は機動隊との衝突を繰り返した。
3.高校三年の二学期に当時の文部省の通知で高校生の政治活動は禁止されたが、それは却って高校生を刺激し、学園紛争が大学から高校にも降りてきた。 ※今では選挙年齢が18歳になったことで、上記の通知は廃止され、高校生の政治活動も休日や放課後でも一定の範囲で認められるようになった。
全国の高校ではデモやストライキが勃発し、バリケード封鎖をする高校も出てきた。 大学生の紛争のテーマは当初は個々の「大学の管理運営体制」や「学費値上げ」といったところだったのが「政治的」な問題が出てきて「社会体制」や「教育問題」「差別」「ベトナム反戦運動」なども含まれるようになり、大きなうねりとなったようだ。
そのとき、それまでの大学での<革マル><中核><社青同>・・・といった左翼のセクトではなく、<全共闘>というセクトを超えた学生の集合としての大きな集団が組織された。
4.何故そんなところまで拡大したかというと、戦後急速に日本の経済は発展したが、その原動力となった大人達の考え方が戦前に受けた教育のままであり、思想(?)や考え方も軍国主義下のものと大して変わらなかったからではないかと思う。
それは柔軟性を欠いた大人達と戦後に生まれ、戦前の教育を全く受けていない世代とのギャップが根底にあると思う。
5.高校生のとき、先生に「何故、髪を切らないといけないのか」と尋ねたら、結局返ってきた答えは「男らしく」とか「清潔に」といった言葉だった。僕たちは「余計なお世話だ」というのが本心で「何故、自分の髪型について他人に指示されなければならない」のだという不快感があった。 そして大人達は何よりも、僕たちの大好きなビートルズを嫌悪していた。
6.ビートルズを大人達は理解できなかった。 自分の人生と感情を自分たちが作った曲で自分たちの声でそのままストレートに訴えた初めての曲だったからだと思う。 僕が高校生になって初めてその曲を聴いたとき<頭のてっぺんから足先まで><電流が走った>ほど「痺れてしまった」。 その歌声とリズムは自分の体の中にあるものをそのまま表現していた。 The Beatles Best Songs of All Time (LIVE FULL HD COLOR VIDEO) – YouTube
しかし、多分10歳くらい年上の大人には、それは単なる<騒音>としか聞えなかったと思う。 それ故、一部の学校は、そんな<音楽>やそれをまねた<長髪>は禁止にした。
そんなこともあって大人達との距離を感じ、彼らに従わなくなった。 先生や大人達にとって、「年上」「目上」には従うものだという<暗黙の社会的了解>が通じると思っていたのだろうが・・・。 だから、卒業式で「仰げば尊し」といった唄が歌われたのだろう。
結局僕たちの<卒業式>はなかった。 <卒業証書>は家に郵送されてきた。
5.あれから半世紀がたち、少し前に同窓会の連絡が来たがコロナで延期になった。 メールで同級生達の近況が書いてあったが、秀才だった人間がそれほど出世せず、赤点の常習者で落第するのではないかと思われた人間が大企業の役員になっていたのは驚いた。 そして全く想像すら出来なかった人生を送っているものもいる。
半世紀前は、進学校にいると勉強だけが唯一の判断基準となり、成績の良い人間が「偉いのだ」と思いがちだったが、全く関係なかった。
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