♬ 春だったね

昭和の男

「ハナ マロ 猫日記」に暖かな春の日に誘われ、外に出た猫の幸せそうな姿を見て、                                                                                吉田拓郎の「春だったね」を口ずさんでしまった。                                                                   

その歌から既に半世紀。                                                                                                  

昨年「拓郎最後のライブ」というので、何とかチケットを買おうとした。                                                                                                         残念ながら、コロナにより中止となってしまった。                                                                                                

拓郎の歌は学生時代からずっと耳に残っている。                             

2006年の「つま恋コンサート」つま恋2006 – YouTube)に行けなかった。                                                                                                                                               

その後も何度かチケットをとろうとしたが、仕事や親の介護やなにやらで、行けなかった。                                                                                        

定年になり仕事が終わり、親も亡くなった。                                                                                                   コンサートに行けるかと思っていたが、中止になってしまった。                                                                                             

半世紀前、ビートルズ、ポールモーリア、ミッシェルポルナレフ、グループサウンズ~フォークソンソング・・・と色んな音楽を聴いていた。

その中で今でもずっと心の中に残っているのは拓郎の歌だ。

ボブディランがノーベル賞をもらったのだから、拓郎は文化勲章くらいはもらってもいいと思う。                                                                                                                            そうすると陽水や中島みゆきやユーミンにも何かあげないといけないかもしれない。                                                 レコード大賞の特別賞というのもあるかもしれないが、                        拓郎にはあまりにも矮小な感じがする。                                                        何をもって賞の対象とするかの問題があるが。                                                         

拓郎は意外にもロックやR&Bやフォークをやっていた。                                               多分自分が本当に歌いたい歌を探していたのだろう。

それまでの日本の歌はいわゆる日本流のポップスや演歌、もしくは外国のロックやフォークのコピー的なもの、そして四畳半フォークと言われたものが多かった。                                                    それはそれで楽しいのだが、何かが足りない。                           それらはどこか反抗的だったり政治的メッセージがあったり、とにかくどこか無理して声をあげていた。

もしかしたら叫んでいたのかかもしれない。

拓郎は「私たち」の歌ではなく・・・「俺の」歌を作りたい、と言っていた。                                                                           確かに拓郎の歌は、「地に足の着いた」「自分の日常」を歌っていると感じる。                                     「イメージの詩」「青春の詩」「結婚しようよ」「旅の宿」「落陽」「春だったね」「人間なんて」・・・これだけたくさんの歌が<すっと>口をついて出てくるのだ。

何の番組だか忘れたが、拓郎は歌詞を作るのに物凄く言葉を選びを大切にしていたらしく、何度も書き換えたノートの様なものを見たことがある。

「歌手」なのだろうが「吟遊詩人」と言った方がいいかもしれない。

拓郎はTV出演を拒否した。                                     それは「一曲だけでは自分をわかってもらえない」というのが理由で「紅白歌合戦」にも出なかった。                                                                   彼の歌はコンサートや野外イベントでしか聞けなかった。                                確かにそこは「拓郎の空間」になっていた。                

しかし、驚いた事に2006年の拓郎の「つま恋コンサート」NHK(衛星放送)が8時間半にわたり生放送した。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          

これは<NHK衛星放送の加入者獲得>と<ハイビジョン放送の普及>の為だろうが、                                 紅白に出場拒否していた拓郎をNHKが出すとは思わなかった。

そして、拓郎が両袖にある大型スクリーンの前まで走って行って歌った背後には<Panasonic>のロゴが大きく<視聴料で成り立っていて><CMを出せない>NHKの画面に映し出されていた。                                             きっと、どこかの広告代理店がしっかりと根回しをしたのだろう。                                                本当なら、<クレームの嵐>なのだろうが、「つま恋」に行けなかった身としては、<有難かった>。

若い頃通った原宿ペニーレーン((2) ペニーレインでバーボン & MC – YouTube)はもうなくなってしまった。

(2) ペニーレインでバーボン 吉田拓郎 Super Jam 70’sファイナルコンサート – YouTube

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